MOKUJI
自由を与えること。
ありのままの姿を見守る。
『そばにいないのは淋しいけれど君がありのままに自由に人生という海を泳ぐ姿が一番美しくて輝いているから見守ることを決めた。』
出した答えだった。
15年以上かかった。
学生の頃、
イルカのような青年に出会った。
突然、海で現れ、幻のように、
私の世界に入って来た。
彼は、父親を知らず、
15才で母親をなくしていた。
星のように生き生きしていて、
彼が指差した瞬間、
恥ずかしそうに笑ったのが始まりだった。
山に行った先で、
子供のようにはしゃぐような人。
仕事も。人間関係も。生活も。
何一つ上手くいかなくて。
一番悲しかったのは、
誰のことも信じていなかった。
そのどこかに
「愛しても失ってしまう。」
と強く深い憂いを標えていた。
今思うと、地上は、
彼の周波数とは
全く違ったものだったのだろうと思う。
私はただ知ってほしかった。
信じられる人もいるんだ。』と
ただそれだけが私の願いで
私の『愛の形』だった。
そして、
彼は突然、
私の世界から消えて、
宇宙という大海原に還っていった。
『世界で一番、俺が、
お前のこと愛しとうよ。』と
(書くには恥ずかし過ぎる)残して。
でも、彼との辛過ぎた記憶は消え、
日記の中で知った。
きっといつか、
日記に残っていた手紙に。
映画「グラン・ブルー」に学ぶ。
そばにいてほしい恋と
幸せでいてほしい愛。
実話に基づいたこの映画は、
生まれてしまったイルカ”
愛してしまう。
望みながらも
『ありのままの姿でいること』を
受け入れ、
(無論、自分のものでもない。
愛の形は自分で決める。
『真実の愛』
『運命の人。』
『ツインレイ』
その言葉に、
踊らされている人が多い。
「ツインレイ」でなければならない。
苦難を越えて
それまでの家庭を変えて
『統合』『結ばれる。』
その『理想形』が
『一緒にいること。』や
『結婚』や。
そうならないことに否定をし、
そうでない自分は、
「未熟」だと否定し、
「もっと何か」を強いる。
『一緒にいる統合』を
果たさ「ねばならない」と。
でも、
宇宙摂理の『真実の愛』は、
そうではない。
「一緒になること」や「結婚」ではない
というまた逆の極論ではなく、
そもそも、もとから
『愛はひとつであること。』
に気づくこと。
そして、その『愛の形は、
一つではないこと。
自分で決めること。』なのだと。
そして、真実の愛に
気づくきっかけを与える人は、
『ただ一人』かもしれないけれど、
『真実の愛』を
共に育む人たちは、
決して『一人に限らない。』
ということ。
ましてや誰かに言われたでもなく
ツインレイかどうかに関わらず
『相手の幸せを願える』かどうか?
『自分の心がそう思えるか。』だと。
「概念の囚われ」から
自分を自由にすること。
『真実の愛』とは、
「統合しなければならない。」
「統合とは、
お互いが通じ合って、
一緒にいなければならない。」
「家庭を変えて
結婚しなければならない。」
「不安や恐れを
解放しなければならない。」
ではなくて、
誰かがつくった『概念』や
世間体の『常識』から
『自分を解放すること。』
『自分で決めた価値観に
生きていくこと。』だと。
でも、この『哲学』さえも、
私の『概念』であるから、
あなたにとっての
あなたの『愛』と
『愛の形』を見つけ、
決めていくなら
『それが何よりの幸せ』
だと思います。
あなたの人生に
彩り豊かな愛が降り注ぎ
幸せに『気づく』ことを祈って。
『真実の愛』を体感する。
愛は言葉や形ではなく、
それは、
態度や行動や言語を越えた
『エネルギー』で感じること。
『波動。』が駆け巡ること。
『情熱』と『強さ』が溢れること。
人は、一度、体感すると、
その体験を自分で
『再現』できるようになります。
逆に、体験したことのないことは、
どこを「基点」にすれば良いのか?
目標が分からなくて、
探しつづけ迷いつづけます。
『真実の愛』を体感する。