MOKUJI
何があっても出来なくても
貴方は愛されていい。
パートナーがいてもいなくても
結婚をしていてもしていなくても
子供がいてもいなくても
仕事をしていてもいなくても
成功していても いなくても
お金があっても なくても
才能があっても なくても
可愛くても そうでなくても
良い人であっても なくても
あの人に愛されていても
いなくても
貴方は無条件に愛されている。
焦って諦めてしまったり
怖くて目を閉じて美しい景色も見ず
急いで楽しい経験もしないままなら
目的地に辿り着いても
何の喜びもない。
目的地に着くことではなく
それまでの過程に胸を膨らますことが
何より魂の喜びであり
この地球に生きるギフトなのだから。
何があっても なくても
何をもっていても いなくても
何が出来ても 出来なくても
誰が認めようと 認めなかろうと
貴方はかけがえのない存在であり
貴方は無条件に愛されていい。
あなたはこれまでもう十分に
その愛を受け取るにふさわしいことを
してきたのだから。
何度も聞いていることかもしれない。
頭では分かっているかもしれない。
でも、心が苦しいままなら
魂で感じられていないから。
『私は無条件に愛されていい。』を
魂で感じるために
『受け入れるべき』
9つのマインドを
個人的気づきを基に
お伝えしますね。
よりどういう経緯があって
どんな最幸の展開になったか?
詳細はメルマガで書いています。
1.孤独は一人じゃない。
誰もが孤独を抱えている。
「まじめに生きてきただけなのに。」
「○○のために生きてきたのに。」
「何も悪いことしていないのに。」
病気、障害、身体的困難、
仕事、借金、経済的困難、
いじめ、誹謗中傷、誤解、偏見、嫉妬、
不仲、離別、精神的困難
ショックな出来事、
理不尽な出来事、
そういう出来事が重なると
「誰にもこの苦しみは分からない。」と
思うようになる。
でも、ちょっと勇気を出して
自分の本当の苦しさや悲しさ、
「誰にも言えない悩み」を
打ち明けるとき
『孤独なのは自分一人じゃない。』と
気づく。
明るく調子良さそうな人たちを見ると
「きっとこの気持ちを
分かってもらえない。」
「相手まで嫌な気持ちにさせたくない。」
「可哀想とか不幸などと思われたくない。
(余計に自信をなくしてしまう。)」
自分だけがうまくいっていなくて
「より孤独」を感じるかもしれない。
美しさ優しさを持つ人ほど
人知れず大きな悩みを
抱えている。
自分から心を開いて
自分の悩みを打ち明けると
実は、
朗らかで幸せそうな人ほど
そうは見えないほど
深い悲しみや苦しみを抱えていると知る。
むしろ「言わない」のは、
普通では抱えられないほど
重いものであるからで
「きっと心配させてしまう。」
「きっと私より取り乱してしまう。」
それを自分が痛いほど
感じているからこそ
誰かにその重荷を背負わせたくなくて
話さないでいる人たち、だと。
悲しみや苦しみの大きさや深さは
比べられるものではないけれど
同じような出来事でも
その出来事に対して
どれだけの情熱を持っていたか?
どれだけ愛を注いできたか?
どれだけの想いがあったのか?
で変わってくる。
100階から地上に落ちるのと
1階から地上に落ちるのと
1万時間かけて得たものを失うのと
簡単にすぐに得られたものを失うのとでは
ショックが違うように。
「こんな重い話をするのは申し訳ない。」
「こんなことで悩む弱い自分を
見せられない。」と
「誰にも言えない悩み」を
ほとんどの人が抱えているから
「自分だけという孤独」を感じている。
さらに、言えない、言わないことで
「孤独」をどんどん深めていく。
でも、実は、
優しいな素敵だなと
「あんな人になりたい。」と
思う人たちも
深い悲しみや苦しみ、
孤独を抱えていて
『私一人じゃない。
素敵なあの人たちも同じなんだ。
悩みや孤独を抱えたままでも良いんだ。
だから美しく優しくなれるんだ。』と
連帯と共存を受け入れていく。
2.相手が恐れを選択する
自由も許す。
否定されるのは
正義の名で
攻撃している。
この世界は、ほとんどの人が
愛ではない恐れで生きている。
恐れや闇が消えることはないし
恐れや闇をなくすことが調和ではない。
闇があるから光がある。
光があるところには闇もある。
光と闇どちらも一緒で
必要であることを
受け入れることに
調和が生まれる。
「愛と喜びで自由に生きる人」にとって
「恐れや不安で支配に生きる人」は
とても苦しそうに見えるから
助けてあげたくなる。
「おいしいものがあるから
一緒に食べない?」と勧めるように
それが特別で希少なものだったりすると
「絶対に美味しいから食べて!」と
強く勧めたくなる。
とくに、その人が、
「人々から苦しみや悲しみを解放し
悟りへ導く霊的指導者の立場」なら
「自分が楽しめていなくて
苦しいままなのでは
人に伝わらない。」
「自分のことを信じれない愛せないのに
人を信じ愛することはできない。」
「人を目覚めさせようとするのに
自分は目覚めようとしない。」
矛盾がある。
形式を重んじ本質でない
他力本願な宗教者に
精神性を重んじ本質である
「目に見えない信じる力」
「愛」をもって
自己責任と自己信頼で
生きることを
「スピリチュアル」と見下され
「信者たちに反発と混乱を招く。」と
否定されたり
会って話もしていない人に
イメージだけで判断され
否定されたり
「不純」と言われたり
いくら純粋な想いで
全身全霊を注いできたことを
反対されたりして
悲しみや憤りを覚えたとしても
自分では「良かれ」と思う正義でも
それは、
「自分の世界の正義」で
相手には相手の価値観があり
自分の正義と同じとは限らない。
相手の価値観が
「恐れ」から生まれていても
「相手の世界」では
正義であるということ
を受け入れること。
自分の価値観は、
「人はこの世界を喜びに溢れ
自由にありのままで生きることを
望む!」
というものでも
そういう生き方は、
傲慢、不純、不可能とし
「規律正しく
世間体に波風立てず
自己犠牲した奉仕は素晴らしい。
我慢強く従順であることが清い。」
という価値観で生きている人もいて当然。
それぞれの価値観があって
調和であり真実であるということ。
恐れで苦しむ体験をする自由を
「与えることも愛」。
ということを受け入れる。
3.助けられなかった罪悪感を手放す。
誰かの苦しみは
貴方のせいではない。
人の人生を勝手に背負わない。
どんな生き方も逝き方も
彼らの魂が望んだこと。
目の前にいる大切な人が
病気で苦しんでいる。
愛する人が助けを求めている。
それを感じて
「自分のせいなのかもしれない。」
「何かできないだろうか?」と思う。
そして、
自分を犠牲にしてでも
身を粉にして全力で助けようとする。
それでも、助けられなかったとき、
さらには、
「おまえのせいだ。」と
罵られたときの
『罪悪感』
『無力感』
『喪失感。』は
深い深い悲嘆となって
自己肯定感を傷つける。
でも、相手が苦しんでいても
あなたのせいじゃない。
たとえどんなに
悲惨に思う別れ方だとしても
あなたの責任じゃない。
魂は自分がどんな存在かを
知るため
成長するために
ただ未知を経験することを望む。
思考ではネガティブ、ポジティブと
分けられる経験でも
どれも同じ
『未知の体験の一つ』に過ぎない。
そして、自分一人では、
その体験のシナリオを
演じることができないから
魂が悪役と善人役とに分かれて
その体験を遂行する
ソウルメイトとして
巡り合わせられる。
だから人が魂で望む体験を奪わない。
あなたの権利でも責任でもないから。
あなたが大切にすべきことは、
『自分がどれだけ愛したか?』
『精一杯尽くしたか?』
『全力でやりきれたか?』
その大きさや深さだ。
どんな結果であっても
自分が行った記憶しか
残らないものだから。
罪悪感や責任感はもう手放そう。
4.自分の望みと向き合う。
「人のため」という言い訳や
逃避にしない。
「自分の望みを叶えていない」
多くの人は、
実は
「自分で考える。」
「自分で答えを出す。」
「自分で決める。」
ということから逃げている。
「自分の望みは
自分にしか分からないし
自分にしか決められない。
自分の身体は自分にしか動かせない。」
でも
「ほんとうの望みが叶わない。」
「自分が信じた結果がダメになる。」
という恐れから
「自分で考える。」
「自分で決める」
ということを避け
「人のため」に生きる方が
楽なこともある。
人のために
人が言われるままに動くほうが
責任を取る必要もないし
自分の頭を悩ませることも
失敗するショックも
少なくてすむから。
人のために動くことに価値を見出したり
「人のために動く素晴らしい人と」いう
承認を得ることのほうが楽だから。
にもかかわらず
相手が期待した反応を
してくれないとき
苛立ちを覚えたりする。
「必要とされなくなる」と恐れで
相手や自分を攻撃してしまう。
ほんとうに
「人のために動くことが喜び」
なら苦しみは生まれない。
苛立ちになることはない。
人は、自分の価値観が満たされていれば
心は苦しんだりしない。
誰かに求められなくなり
ショックを受ける時は、
「自分の望み」と丁寧に
本気で向き合うチャンスにする!
『本当はどうしたいの?』
深く深く自分に聴いてあげて
その答えにたどりつくなら
起こったショックな出来事は、
『望む方に軌道修正するギフト』
だったと気づく。
5.特別であることを受け入れる。
特別は普通には培われない。
「特別」でいることで
「普通」ではいられない。
これまでが波乱万丈だった者にとって、
「普通」は「奇跡」に近い
「特別」なこと。
反対に、
「特別であること」で受ける嫉妬や
期待や責任。
実は、
『特別という差別』であることもある。
自分がやりたくないこと
(努力)できないこと
誰かを「特別」にすることで
自分がやらなくていい
言い訳にする人も多い。
責任を背負わせる人もいる。
いくら自分が美しい白鳥であっても
アヒルの子の中にいたら
「自分を醜い」「欠陥」と思い
「みんなみたいに」
「普通に」と願う。
華麗に水面を泳ぐ白鳥も
水面下で激しく足をばたつかせている。
「特別な力」は、
何事もない「普通」からは生まれない。
特別な力を培う絶望や試練が伴う。
でも、
試練や困難に自ら飛び込む人はいない。
たいてい試練や困難は、
なんの知らせもなく突然、
向こうからやってくる。
試練を避ければ普通のまま。
『幾たびの試練を経験した分でしか
特別な力は備わらない。』
もし貴方に『特別な力』があるなら
それは、貴方がそれだけの試練を
越えてきた証だから。
貴方が
『特別な力』を受け入れないかぎり
試練は続いていく。
その『特別な力』で喜ぶ人たち
笑顔になる人たちがいるなら
あなたはその『特別な力』を
受け入れるべきなんだ。
幸せになることにも
人を喜ばせることにも
遠慮はいらない!
6.玉座に座らせるのは「私」
他の誰にも座らせない。
これまでは良かったのです。
自分を表現する力、
自立するスキル、
確固たる人生の土台を築くまでは、
その世界の玉座に、
親や憧れの人や、
愛する人を座らせても。
そうすることで
あなたは
行動するモチベーションにして
必要な力を身につけてこれたから。
でも、
「魂の望みに生きること」
「自分の世界の創造主になること」を
望んだ貴方は今!
そのステージに立っている。
だから、もう、これまでのように、
その玉座に
「自分以外の誰か」を
座らせてはいけない。
「あなたの望む世界の玉座に
あなたを堂々と座らせよう。」
7.価値を認めてもらうことからの解放。
幸せでいるのに価値の説明も
証明も必要ない。
「価値がないと受け入れられない。」
「価値がないと愛されない。」
「価値がないと捨てられる。」
「価値がないと離れられる。」
仕事、恋愛、人間関係、すべてにおいて、
自分の存在価値を
誰かに認めてもらおうとしやすい。
好きな人やパートナー
上司や友人、社会に。
その原因は、幼少期の親子関係に
起因することがほとんど。
『人は生まれながらにして
かけがえのない存在で
愛されていい。』
それが十分に満たされた経験がないと
「頑張ったから認められる。」
「結果が出せば認められる。」
「親が認める良い子だから愛される。」
と条件つきで
自分に価値づけをしてしまう。
『自分の価値は自分で認める。』
それ以外に満たされることはない。
たしかに過去の要因によって
なかなかそうできないもの。
一度も親に愛されたことがない、
一度も親に許されたことがない、
生きていくために言うことを
聞くしかなかった
生命がかかっていた。
生きていくことはできたけれど
自由を許されなかった。
だいたいのことは許されたけれど
心から望んだことだけは
許してもらえなかった
人にとって程度が違うし
それによって
「自分で自分の価値を認めること」が
どれだけそれが
人より難しかったとしても
そこから楽になる唯一の方法は、
「自分で自分の価値を認めること」
誰かに認めてもらうことも求めない
そのために価値の説明をする必要もない
ということ。
それだけは誰にとっても平等。
でも、もし、
人より楽になるハンディや難しさが
大きいとするなら
それは貴方が
『それだけ大きな可能性
乗り越えるだけの大きな力がある。』
という価値だから。
その価値を
自分で受け入れてあげればいい。
本当にそうだと分かる結果が
後から必ずついてくるから。
8.もうすでに
全てを与えられていた。
今いる環境が心地よくて
それなりに満たされているなら
本当にやりたいことが別にあっても
今いる環境を離れることで
「人が離れていったらどうしよう?」
「仕事がなくなったらどうしよう?」
「良くしてくれた人たちに申し訳ない。」
「私がいなくなると
彼らに迷惑をかけてしまう。」
と怖さや罪悪感で
「本当の望み」に向かうことは
なかなかできないだろう。
自分が本当にやりたいことをすること
自分でチャンスを築いていくことより
人から求められること
人から提供されることをするほうが楽だし
「必要とされている」
という優越感も満足感もある。
余計に、それらを手放していくことは
難しいことだろう。
でも、彼らが否定や攻撃をしてきたり
心や扉を閉ざしてきたなら
それ以上は、そこにはいられない、
そこを『離れるしかなくなる。』
『本当の望みに向かうしかなくなる。』
そして、
その本当に望む道を歩み始めるとき、
その望みのために必要な
お金、時間、自由、能力、チャンスを
すでに与えられていたことに気づく。
自分の望みを叶えることを阻むものは
何一つなくて
ただ自分が自分に
『その道を行くことを
許していなかっただけ。』
と分かる。
だから、
これまでの環境にいることを
否定してきたり
これまでの道を歩むことを
反対してきた人たちは、
わざわざ悪役になって
私を魂の望む道へ進むことを
仕向けてくれた
魂視点では
愛の深い魂なんだと気づく。
もし、相手が優しくて良い人たちで
求めてくれているなら
どうしても恩や心地よさを感じて
そこに背を向けたり
離れようとはできない。
そして、
彼らが楽になることを
彼らが自分で向き合うべき課題を
自分が勝手に自ら背負い
彼らから自由になるチャンスを
奪っていただろう。
そして、いつまでも
本当に自分のやりたいことから
逃げていただろう。
彼らは離れていったり
彼らを失ったのではなく
私に本当に望みむことをさせるために
「自由を与えてくれていた。」
どんな展開になったのか?は
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9.相手を通して
自分をどこまでも
信じ愛していく
魂のプログラム
究極に魂を成長させる相手が
最愛の人。
真実の愛は
相手を愛することが
自分を愛すること
自分を信じること
その自分が愛している人を信じること
相手に無償の愛を注ぐのではなく
自分に無償の愛を注いでいく
相手がいなくても
自分で自分の価値を認め許可を出し
自分で自分を自由にし満たし喜ばせ
自分で自分を幸せにしていく
魂のプログラム。
そのプログラムを完走するために
最強の伴走者が最愛の人。
それを『真実の愛』
『ツインレイ』『魂の片割れ』と言う。
『魂の片割れだから』うまくいく
仲良しでいられる
その存在がいるから幸せになれる
ということではなく
その相手を通して
自分が見たくなかったところ
今まで向き合わずにすんだこと
受け入れ難いことを受け入れ
愛せないところを愛していくこと
を究極的に向き合わされる。
相手を通して、
自分の魂を成長させ
どこまでも自分を信じ愛していくと
相手のことも信じ
愛していくことができる。
だから、すべてのことが
これまででは考えられないくらい
色鮮やかに創造できるようになる。
自分の魂の王座には、
自分の男性性を
女王の座には、
自分の女性性を座らせる。
自分が自分のツインレイとなるために
必要な相手が
『魂の片割れ』でも
自分の世界の王座にも女王の座にも
座らせるのは『自分自身』。
内なる世界でそうなるとき
現実の世界においても
『私』と『魂の片割れ』が
最善の形で一緒に在ることが現れる。
決して内なる世界の玉座(操縦席)に、
『ツインレイ』や『魂の片割れ』を
座らせてはいけない。
それを目指していくと
その現実からどんどん離れていく。
どこまでも自分に誠実に大切にして
自分を信じて
自分を愛していく。
そこに魂の望みがあり
そこにしか魂の喜びはない。
無条件に愛される
ヴォイスハーモニー
『無条件に自分を愛し信じていく。』
それは、
思いがけない奇跡を起こし
想像以上に世界を彩り豊かにし
これまでにない幸せを感じていく。
そのための過程を楽しみながら
最幸最善にしていくために
I VOICE HARMONY
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