Satsuki Harmony

愛する存在がこの世を去っても

愛する存在がこの世を去っても

 

薪の熱に何かが溶けるように

初めて買った薪ストーブに
火入れをするときに、
たまたま薪をお願いした業者の方と、
始めは
「火の持つ1/f揺らぎの癒し」について、
「古代からの火と人間との関係」について、
話が盛り上がっていきました。

 

その方は、
「火の持つ見えない力」の探求をしたくて、

自分の会社を一人経営しながらも、
火の研究のために大学院まで通われたとか。

そして去年、
修士課程を卒業されたとのことで、

その並々ならぬ探究心と努力の
原動力を知りたくて、

 

「そんなに大変なことを
どうして、やり遂げられたんですか?」
と、聞いてみました。

 

すると、その方は、
「初めて会った私」に話してくれました。

「実は、その頃に妻を亡くしたんです。」と。

 

聞くと、
奥様が38歳の頃に天に還られたと。
その前の数年間も彼女の闘病生活を
ずっと支えられていたと。

 

奥様が経理をされていたのもあり、
会社も看病も大変だったと、
涙を静かに拭いながら、

 

「こんなことお客さまに話すのは
初めてだし、

話すことではないんですけど。」と、
言いながらも話を続けられました。

* * * *  *

私は、別の親しい友人のご婦人で、
離婚しようと思っていたご主人に
ガンが発覚し、
それでも看病をし貫いて、
最後はお互いに手を取り合って、
感謝で看取ったことを
思い出していました。

 

その女性は、
寿司職人だったご主人のお店を
切り盛りし、
有名人やお医者さん、
先生と呼ばれる人たちに

贔屓にされる店にまでにし、
創業時の大きな借金も早々に返済し、
二人の優秀なお子様も育てあげた、
とても「気丈で素晴らしい女性」です。

 

そのご婦人でさえ、
ガンのご主人の看病をするのは、
「もう私の力ではどうにもならない。」
あるとき泣きながら、
一緒に祈ってほしいと、
娘ほど歳の離れた私を頼ってくれました。

 

少なからず私も、
どれほど看病が本人だけでなく
家族にとっても辛いものか、

を見ていました。

* * * *  *

病気は本人の意志に関係なく、
その人の気性を
狂わせてしまうことがあります。

 

それが病気のせい、
薬のせいと理解しつつも

闘病している本人から、
吐き出される苛立ちや

絶望や弱音を、時には暴言でも
それを受け止め、さらに
平静に、笑顔でいることは
本当に辛く大変なことだと。
やり場のない苦しさだと。

 

「闘病中の奥様に、どのように
接しておられたんですか?」

なぜか聞いてしまった私に、

その男性は、
話したかったように、

『普通に接していました。
 でも時々、

 病院の屋上に言って叫んでました。
 “怒りを” 天に向かって。
 「なぜこんな良い人を
 助けてくれないのか!」と。

 時には声を上げて泣きました。』

このことを聞いて、わたしは今
ヴォイスヒーリングで

伝えてることが
誰かの癒しになっていると
言ってもらえてるようでした。

それは、

怒り 悲しみ やるせなさ 寂しさ
切なさ あきらめ

否定的に思われる感情でさえ、
そういう感情こそ、
声に出して吐き出すことの力を。

 

そして、
その方は穏やかに話を続けられました。

「なぜか奥さんが亡くなる日を
予感したんです。

 その一週間前でした。
 下手な期待を持たせることなく、
 そのまま彼女に伝えました。

 そこから彼女も瞳の奥が変わり
 自分を取り戻したように

 飾る写真
 好きな花
 好きな音楽
 いなくなった後にしてほしいこと

 を話し合いました。」と。

 

ご主人は、どうしても、
無宗教葬をしてあげたかったそうで、
周りに散々大変だからと制されても、

奥様が喜ぶものでいっぱいにした会場で
奥様が好きだった音楽をかけて
晴れ晴れと最期のお別れをしたそうです。

 

自殺する人の気持ちが
分かります。

「妻を看取ってから、
半年以上、抜け殻のようでした。」と。

「自殺って、魔が差すんです。
正常だったら、怖いし、
後のことを考えたら
決してしてはいけないと思う。
でも、ふとこのまま
死んだら楽なのかなって

思ったりするんですよ。」

 

さらりと少し気まり悪そうに話す瞳には、

そこにどれだけの葛藤と
苦しさがあったのかを

感じました。

「だから若者に交じって大学院に通い
修士論文に集中することで
気が紛れたんです。」

そして、さらには、
もともと無宗教だったけれど、
たくさんの宗教の本を読み、

自分の結論として、

この世に生きていようと
いなかろうと

人は誰かの意識の中にしか存在しない。
人は誰かの意識の中だけに存在する。

と思ったそうです。

だから、
彼女のことを忘れず、
いつも意識していようと。』

それが唯一自分を保ち、
奥様を今に存在させる結論だったと。

 

その方は、
奥さんが亡くなられて、
二年か経つ頃に

信頼する友人の紹介で知り合った女性と
再婚されたそうです。

 

私に対して、
ここまでの話をしてくれていたので、

真面目に率直に尋ねさせてもらいました。

 

「愛する人を失った深い悲しみを
 経験して、もう一度
 誰かを愛することへ
 どうすれば向き合えたんですか?」と。

その方は、少し照れくさそうに、

「私は愛されるより
愛することの方が

良い人間みたいで、
その対象がいないと
自分がダメになると

思ったんです。

二年も経って、そろそろと前向きに
誰かのことを考えてみようかと
思っていたら、

ご縁を頂いたので。」と。

 

今の奥様は、不思議なもので、
亡くなった奥様とは正反対のタイプだ、と

 

照れるように
窓の向こうの海を見つめながら、
そう話す瞳は幸せそうでした。

自分と同じ辛い思いを
させたくないから、
妻より長生きしたい。

私はその言葉に、
本当にその方の愛情深さを感じました。

それは、今の奥様に対してだけでなく、
亡くなられた奥様に対しての鎮魂なのだと。

 

誰かを愛することは
 その別れや失うことの辛さを思うと
 無意識に恐れになってしまう。

   そして、別れは必ずやって来る。
 それでも、恐れずに
 誰かを愛し貫くこと

 そこにはきっと
 失う苦しみ以上に
 それほどに 
 誰かを想えたこと
 人を愛せたこと
 そんな相手に出会えたこと

 それはかけがえのない歓びであり
    今世で与えられたギフト。』

なのだ思いました。

もう忘れたと思っていた
私の過去が癒されていく。

私は、もうずいぶん前のことで
忘れたと思っていたことを
思い出しました。
そして、
涙が出てきたことに驚きました。

 

学生の頃、初めて付き合った人が、

精神障害になり、
全身全霊で向き合った果てには、
記憶喪失になったこと。

 

どんなに辛くても、
彼と私との時間と出来事は
事実として残ると思うことが
唯一の支えだったのに、
その思い出が、
『私の存在が
彼の記憶から無くなったとき』
確かに、
私はあのとき、

彼の中で私は生きていなかったこと
死ぬようにショックだったんだ。。

 

今となっては、忘れていたけど、
その後、彼とのことを消化するのに、
少なくとも5年以上はかかったなあ。

(2022.追記)
——————————–
消化できたと思っていましたが、
それは、20年近く経とうとした今

二月の寒い時期になると
フラッシュバックします。
 
当時は、受け止めきれなかったから
自己防衛本能で
思い出させないようにしていただけで

受け止められる度量がついたから
今、思い出し、
本当の意味で、
昇華させようとしているのだと思います。

ーーーーーーーーーーーーー

そして、薪ストーブの火を前に
私が思い出し、気づけたこと
癒されたことは、

『悲劇だと思っていた恋愛は、
自分が壊れそうになるほど
誰かを愛せた
かけがえのないギフトだった。
それほどまでに想える人と
出会えることはきっと
一生にあるかないかで
幸せなことだった。』と。

でも、私が長い間
「愛されていない。」と
思っていた不幸は


本当は

『誰かを愛すると
 その愛を失う苦しみがある。』

『別れがくることの恐れ』が、
 潜在的に
残っていたからだということ。

その痛みから無意識に
自分を守っていたのだと。

 

私は
「本気でもう一度自分自身を愛して

誰かを愛したい。」

と覚悟ともいう気持ちで
日々、自分に向き合い始めた
タイミングにいました。

 

そんな時に、
普通ならあり得ない
このシチュエーションに
こんなにも
心をふるわす
大きくて深い愛の物語
聞いたことに
とても救われました。

 

そして、何かが誰かにも
届けてと言っている気がして、
シェアさせてもらいました。

よりメッセージが必要な方には、
ヴォイスヒーリングセッション
で届けていきます。

 

どうかこの物語と
私の気づきが
誰かの過去や
今の心も温めて
昇華させていくことを願っています。

 

※私と昔の彼との物語は
 一冊の本になりそうなほど
 深い学びだったので、
いつかまた書きます。

 

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