Satsuki Harmony

自然に還るモノと思いやりの選択。

自然に還るモノと思いやりの選択。

自然に還るモノと思いやりの選択。

1.モノが創られるまでを想像する。

何かを手にするとき、

それが、
どんな場所で、
どんな人が、
どんな気持ちで、
どんな想いで、
どんな風に
創ったか、
想像してみますか?

着るモノも
食べるモノでも、
住むモノでも
衣食住のひとつひとつ

すべて

モノはただの物ではなく
エネルギー(愛)で、できています。

人は、
そのモノの良さを
値段や知識、情報で判断していると
思いがちですが、

実は、そのモノに宿っている
エネルギーの記憶
を無意識に感じています。

だから、
値段や説明を知る前に、
触れたとき、
身に付けたときの
感覚を大切にして、

そして、

それが、創られるまで
そこに届くまでをも
少し想像してみる。

すると、

そのものの本当の価値が分かるし、
それが値段と見合ってるかどうか、
以上に、

「それがどれくらい
自分の価値を
思い出させてくれるか」

「自分を幸せにしてくれるか」

が分かるんじゃないかな。

2.モノがどう還るか想像する。

もし、今、
得ようとしているものが
要らなくなったり
自分で使えなくなったら、
それは、
どうなるのか?

ただのゴミになるのか、
ゴミにもなれず、
不自然なものとして、
土にも還れないのか。

できることなら!

また、
誰かが使ってくれたら良いし
誰も使えなくなったら、
また土に還って
微生物の食べモノになるなら、
自然な形で
自然に還っていく。

それは、

生命の循環という、
使命を全うし続ける。

人もモノも本来の姿で
生命を、
使命を全うし続ける姿は美しい。

だから、
どんな世界を見たいのか、
どんな自分で在りたいのか

モノを選択することで、
その選択の仕方で
その結果の自分と

世界が現れていく。

3.感謝をそれ以上の対価で還す。

(一部、「豊かさは愛を持って巡り廻る。」から抜粋。)

今の時代、

物でも、
食べ物でも
衣類でも、

”音楽”でも
”歌”でも

「昔ながらの自然な形で生まれたもの」
を手にしようとするとき、

本当は、それだけ人のぬくもりと
手間暇かかったものであるから、
それ相当の価格があるのは当然なのだけど、

安価でも同等の機能を持つものに
慣れている現代の私たちは、

その高値に、迷ってしまう。

贅沢なことなのではないのかとか、
やっぱり高いから、とか、

安いほうが良いし、間に合うし、
安いのは当たり前とか、 考える。

“便利なもので溢れた”
不便さを感じながらも。

良い悪いではなく、
それも、ひとつの在り方。
ひとつの選択。

でも、
想いと愛情が含まれるものに、
それを作る人に感謝を還したい。

私にはできないことを
たくさん手間暇かけて
たくさん愛情をかけて
たくさん情熱をかけて
創ってくれたこと

そして、それに触れたとき
感動を与えてくれること
身を包まれたとき
自分に自信がもてるような
喜びをくれることに

同じ機能を持つものが
100円で手に入るかもしれない。

でも、
その何百倍の値だとしても

想いを込めて
丁寧に手間暇をかけてくれたことへの
感謝をモノ以上の対価で、

ちゃんとその方たちが

それを続けられるように
還したいと思うのです。

気持ちはあっても、手の届かない時はあるけど、
できるだけ、
その「思いやりある選択」を
していこうと思います。

海の見える泊まれる
ohana moana retreat studio
オハナモアナ リトリートスタジオ

okami

 

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