Satsuki Harmony

サツキクライシス!

サツキクライシス!

私という認識の崩壊。

昨年末の浄化から新年になって

すごく心身が軽くなったけど

なんだか日々が静かで

心がぽっかりと

頭が真っ白に

言葉が出てこなくて

想いが出てこなくて

でも涙は出てくる。

 

それなのに、

現実はとても満たされている。

見える世界もクリアで美しい。

なんだろうこれ。

 

明らかに今までの感覚と違う。

私、
振り切れてしまったのかな。

 

もしかしたら、

 

これまでの
「私という認識」が

『崩壊』したのかもしれない。

 


昨年と言っても、

つい先日までなのに、

それまで憧れていた人たちや

思い描いていたことに

興味が無くなった。

意欲が湧かなくなった。

 

 

事実と真実の違い。

私の意とは別に

「凄い」「活躍」

「優雅」「良い生活」

「調子良い。(調子に乗ってる。)」

とよく言われるようになった。
(社交辞令なのかな。)

でも、その裏にも底にも、

『 非常事態 』『 火事場 』

があったから。

 

必死でバタバタと足を動かして

一生懸命もがいている。

 


昔のトラウマから避けていた

「がむしゃら」や「頑張る」を

気づいたら、

もう一度やっていた。

 

 

うまくいく方法とか

できるかどうか考える余裕なく

ショック状態で思考は停止。

 

 

自動的に後先も考えられず、

とにかく目の前にあることしかできず、

 

 

ただただ

『何も考えず、やる。』

『やるしかなかった。』

 

それらが結果、

思いもよらない形で実を結び、

思いもよらないイメージを持たれる。

 

 

もちろん、

 

感動と喜びと驚きがあるし、

結果はすべて誇大でない事実であるけど

 

思われている真実とは違う気がする。

 

 

そこに少しの息苦しさを感じていた時、

本撮影とは別にスマホで
たまたま撮られていた

「無意識の私」。

 

ああ 私の素=本望だなって。

自信があるわけでも、

凄いと思われたいわけでもない。

 

引っ込んでいたいし

隠れていたい。

怖がりだし、

緊張で身体はガチガチだし、

超慎重派で、

そりゃ傷つきたくない。

 

ほとほと心の中で
アレコレ葛藤し
アクセクやり尽くして、

 

そんな自分が嫌になって、
エイって踏み出して
しまいに突っ走る。

 

ピンポンダッシュみたいに。

 

正直でありたいとする
ポジティブと

正直でない自分を許せない
ネガティブと

 

どちらの私も存在する。

 

 

それでも行動に出るのは、

使命感にも似た想いがあるから。

心を通わせたい人たちがいるから。

 


真面目と思われようと
(真面目だから仕方ない。)

綺麗事と言われようと
(本音だから仕方ない。)

 

この美しい青い星が
発するメッセージ。

 

宇宙から届けられる愛。

 

地球という同じ空の下で
生きる私たち。

 

ひとつの同じ世界で
同じ人として生きていることの

 

喜びや驚きを
共有したいから。

 

 

この世界は美しい。

 そこに生きるあなたも美しい。

 

 人として

 今ここに 

    生きることは素晴らしい。と。

 

笑顔は素敵だけど、
いつも笑顔でなくていい。

SMILE


「笑顔」も「笑顔でいること。」も

確実に良いこと。

人も自分も元気にする。

 

「笑顔の力」も

「笑顔の魔法」も絶対にある!


でも笑えない時は笑わなくていい。



泣きたい時は泣いていい。



私は最近になって

やっとそれが出来るようになったけど。



自分の弱さを見せれる人が
最大に強いと思う。



苦しみが大きいほど
優しい人ほど、自分にダメ出しして、
言えないものだから。



人に言えない苦しさほど
苦しいことはないことを
知っているから。

 

 

「いつも穏やかですね。」

「落ち着いている。」

「自信に溢れて堂々としている。」

「あんなに歌えて凄いですね!」

「キラキラ輝いている。」

そう見られることは
ありがたく嬉しい言葉だけど

 

不思議なことに、

自分ではそう思っていない時
そうではない状況の時に

言われる。

 

なりふり構わず

人からどう見られているか

考えている余裕なく

 

そう

自分では良くないと思っている時

 

答えが分からない

決めきれていない

迷っている

自信がない

緊張している

怖くてたまらない

 

そんな時に言われたりする。

 

ただ

その時の状況で共通して言えるのは

 

限られた状況のなか

あるだけの集中力で

自分の内に向かって

感覚を研ぎ澄ませ

 

全力でやっている!

 

 

自分が思う完璧ではないけど、

やるだけやったんだと

リリースしたら

そうやって生まれたものが

一番感動してもらえたり

たくさんの人の
心深くに伝わっていったりする。




後になって、

私の歌を聴いてくれた人たちの

瞳が輝き出して

笑顔や涙が溢れて

感動したり喜んでいる姿に

 

私が励まされ

ああ頑張って良かったと

 

「行動した自分に対して自信」になり

次こそは

もっと良い歌にして

もっと喜んでもらえたらいいなと

意欲に変わっていく。

それが永続的に繰り返されている。

 

 

人の反応も
気にするとこまで
気にすれば、

自己啓発的には

人のこと気にしないこと、とか

嫌われる勇気を持とう、とか

世間ではよく聞くけど、



それに悩む人たちにとって、


それが簡単に出来たら、

こんなに悩まないし、

どれだけ楽なのだろう、と思う。

 

 

人を気にしてしまう自分も

気にしないことが出来ない自分さえ

ダメだなって否定してしまう。

 

そもそも力を入れない
気にしないって

頭で理解して、
できることではないから。

 

 

でも、

失敗や評価や正直になることに
怖がりで

人の反応を気にするままでも

 

そのまんまで
全力でぶつかって

限界を越えるまでやり通すなら

、、、、、、

、、、、、、

 

 

 

ふと、

気にしてしまう自分でも良いや。って

 

ふと、

自信がないままでも

怖がりのままでも

それが私だもん!って

力が抜けて

現実が変化していく。

 

意外にも、

葛藤しながら
もがきながら

それでも精一杯に歩む姿は

 

人には良く見え

輝いて感じるのだろうと。

 

そして、

声に響きを与え
歌にもエネルギーを与え

人の心にも
共鳴を起こしていくのだろうと。

 

 

 

「自然体」は
全力を出し切って
自然になるもの。

怖いままでも

緊張しながらでも

そんな自分を受け入れて

そんな自分を全力でやり切るなら、

 

『その行動した自分』に

 

「よくやった!」って思えるし、

愛おしくなる。

自信が持てる

 

そして、

やれるとこまで
やりきったなら

 

人の反応とか
なんだか、どうでも良くなる。

 

 

結局のところ、


「自分の真実」は、
なかなか伝わらないもの。


環境も考えも違えば
同じ言葉でも解釈は異なる。

 


それなら

「自分が自分で在るのは?」

 

ただそれだけを望み、

ただそこだけに臨み、

選択し、

行動する。

 

そこに集中すれば
フォーカスするほど 

 

それ以外が気にならなくなる。

 

「どうでもいい。」

 

ネガティブに聞こえるかもしれない。
どうでもいいっていう諦めかも。


それは


自分に向けるものではなく、
「人に向けるもの。」

 

きっと、それは、

「気にしない」
「気にならない。」という


とても自然な自分を受け止め 
解放していること。

「素」

「ナチュラル」

 

それは、

全力を出し切った後に、

自然に生まれるもの。

自然にそうなるもの。

 

 

緩ませようと思っても

心も身体も緩まない。

全力で力を入れるからこそ、

自然と脱力される。

 

 

この深い真理と
シンプルなワークを

理解ではなく
体感してもらうために


the LOVE of the UNIVERSE
 VOICE  HARMONY

 ヴォイスヒーリングで、

お伝えしています。

ご興味がある方は、こちらから。

 

 

追記

言葉って難しい。
 
心も状態で同じ言葉も
解釈も捉え方も変わるから。

 
うまく伝わらなかったみたいなので、
続きを書きました
 

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